肥え太った心の末3

 ぴんぽーん、とインターホンの音で腰を上げる。狭い部屋である、玄関にたどり着くのにそう時間はかからない。鍵を開ければ、仁武がドアノブを捻るまでもなくドアが開いた。
「おっじゃましまーす」
 いたっていつものトーンで、大きめのビニール袋を下げて十六夜が立っていた。
 袋の中身は仁武が頼んだ怜の衣服と、十六夜が勝手に選んできた病人用の食料だ。ほぼゼリー飲料なのが袋から透けて見える。申し訳程度のレトルトのおかゆが透けていた。
 十六夜は傘をその辺に立てかけると、これどこに置いとけばいい、と袋を掲げてみせる。こっちで置いておきますと袋を十六夜からもらい、あがってください、と声をかけた。
「相変わらずこぢんまりしてるねえ。引っ越さないの?」
「気軽に言ってくれますね。先立つものがないと厳しいんですよ」
「えー、お金ぐらいおじさんが出しちゃうんだけどなー。っつても、お前さんの場合気にするか」
「人に引っ越し費用を捻出してもらうのは流石にちょっと……」
 そしてこの人の場合家賃まで捻出しかねないので本気でご遠慮願いたかった。
 ボク、ちょっと引っ越しを考えてるんだよね――そんな玖苑の言葉に、よしきたと言わんばかりにあれよあれよと引っ越しから新居の手配まで十六夜が終えていた事件は記憶に新しい。
 どうかと思う。仁武は心の底からそう思った。そして流石の玖苑も苦笑を浮かべていたのも印象的だった。
 とはいえ流石に件の金銭は毎月コツコツと返済しているらしいし、本当に一時的に十六夜が出していただけらしい。
 ならはじめからローンを組めばいいだけなのでは?仁武は訝しんだが、悲しいかな純壱位はフリーダムボケ人間ばかりなのだ。唯一突っ込んでくれそうな一那は基本だんまりだし、なによりまだ学生だ。
「おじさんは全然気にしないんだけどなー……と、がっつり寝てんのか。騒がしかったかな」
「多少の話し声くらいは大丈夫でしょう。それなりに消耗していたみたいですし」
「雨ん中突っ立ってたんだっけ? 夏の入りとはいえ、まだ冷えるもんな」
「……そうですね」
「おっと、その感じ、なんか思うところがあるって顔だな」
「生憎、具体的なことは一つも分かりませんがね」
 からからと十六夜が声を殺して笑う。もたついてるねえ、と揶揄うような、どこか懐かしむような声が机の上を跳ねた。
 元より狭い部屋だ、寝室なんて上等なものはもちろん無いので、寝台は部屋の端に設置されている。申し訳程度に離れたテーブルを挟むように座って、気持ち声を潜めて話しているのがなんだかおかしくて仕方がなかった。
 ビニール袋の中身を机に並べて、冷蔵が必要なもののみを冷蔵庫に突っ込み、残りはビニール袋へ戻した。衣類品は念のためタグは切らずにおいておき、財布を探そうと腰を上げる。
「あ、金はいいから」
「そういうわけにもいかないでしょう」
「いいのいいの。だってさ、他の誰が見つけたって同じことするに決まってるじゃない」
 仮に、雨の中ずぶ濡れで突っ立っている仲間を見たとして。
 そのまま素通りするような人間性を持ち合わせたヤツなんていないでしょ、と十六夜は笑う。
「それがどんなに昔のことだってさ。 ……一回染みついちまった情は、流すに流せない。違うか?」
 ざあざあと、さわさわと、細やかな雨粒が窓をたたく音を拾う。
 雨音のような問いかけに仁武は苦笑を浮かべて、それは確かに、と同意した。