立つ鳥、どうか跡を濁して

媒人の遺品整理をする仁武三宙英都の話。
形無きものを胸に歩ける若者と残るものがないと怖い大人の、ある日の話です。

・誰かの彩縁後の世界(少なくとも仁武は特選志献官ではない)
・ネームレス媒人の描写があります。

「ああ、けれど、けれど。何もないというのは、こんなにも空虚でものさびしい」


 小さな段ボールすら梱包材で隙間梅をしなければならないほどの、少ない少ない荷物にガムテープを貼る。
 酷く息苦しいのは錆のせいか、あるいはまた別の理由のせいだろうか。おそらくは両方だ。戦いが終わったという安堵で気が緩んだのか、最近仁武の身体はわかりやすく悲鳴を上げている。
 同時に、失ってしまったものを思って酷く痛い。胸の底が、締め付けられるように痛みを訴えている。
 媒人たる彼の人がこの防衛本部に来た、五十日間。そのたった五十日で世界を救うことが出来たのは奇跡でも何でも無く、ただ志献官たちの努力と救世の意思によるものだと仁武は考えていた。
 そして救世を実現させたのは間違いなく記憶の無い、まだ年若い媒人のおかげであることも十二分に理解している。
(これだけか)
 ガムテープを貼った段ボール箱に目を落として、浅くなりかけた息を整えるように口を開く。
 あまりにも少ない時間で、しかし僅かでは無い時間だったはずだ。記憶が無くとも、好きなことの一つくらいは見つけられてもおかしくは無い時間だっただろう。
 媒人の荷物は必要最低限の筆記具や着替えのみで、着替えだって志献官の制服と支給された寝間着くらいしかないものだったから、本当に荷物は僅かなものしか残っていない。
 残させなかったの間違いでは無いのか?
 ふとよぎった思考に奥歯を強くかんだ。ぎりぎりと嫌な音が響いて、知らず、手元にも力が入る。段ボールは仁武がかけた圧力の前に呆気なくゆがんでしまった。
 それにようやく我に返って、ガムテープを剥がし息を吐く。一応詰め直しておいた方がいいだろう。この遺品がどう処理されるのかは想像に難くないが、やらねばならないことはやらなければならない。
 ドアノブに手をかければ、力を入れるまでも無くかちゃりと音を立てた。人がいるのだ、と意識した瞬間なんとかして表情を取り繕う。誰であれ、まだ防衛本部が形として残っている以上、鐵仁武は司令代理だ。その顔を崩すわけにはいかないと、最後の意地のように思った。
「お、やっぱりいた!仁武サン、今媒人さんの遺品整理中っすよね?」
「すいません、仁武さんが一人でやるって言って他のは知ってたんですけど、どうしてもオレたちもお手伝いしたくて」
「三宙、栄都……ああ、いや、構わない。半分は俺の意地のようなものだからな……」
 一瞬三宙のサングラスの奥の目が細められた気がしたが、仁武はあえて何も触れなかった。対照的に、栄都は僅かに表情を明るくすると、仁武の後ろにある部屋の中をのぞき込むように身体を反らす。
「あれ、でももう終わりかけですか?」
「一応は、な。勢い余って段ボールを駄目にしてしまったから代わりを持ってこようかと思っていたところだ」
「そうなんですね!それならオレ、持ってきます!」
「えっ、今?大きさとか確認した方がいいんじゃねって早ー!?」
「弾丸よろしく飛び出していったな……」
「ちっちゃすぎるとかデカすぎるとかあったらどーすんだよ……」
 何とも栄都らしい話ではある。せめて大きめであることを祈るか、と冗談めかして言えば、梱包材で埋めればいいだけですもんねー、と三宙が呆れた声で返した。
「入っていいすか?」
「ああ、構わん」
「それじゃ、お邪魔しまーす……うわ、マジで何もねえ。え、これだけ?」
 三宙の困惑した声に、つい言葉が詰まってしまった。
 部屋の中央に置かれた段ボール箱一箱分だけの遺品。あまりに少ないそれは、彼の人が生きた痕跡にしてはあまりに頼りない。
 ――残させなかったのでは無いか?
 疑念はつきること無く仁武の心を責め立てている。黙ったままの仁武を三宙は一瞥すると、でも、と逆説の言葉を口にした。
「不思議な人でしたよねー。印象薄いんだけど、濃いっていうか。言葉で表すのはムズいんですけど。結合術なんてスゲー術使えるのに控え目だったし。先代の媒人サンもそんな感じだったんですか?」
「そうだな。ああ……言われてみればそんな感じだったかも知れん。過ごした時間は、短かったが」
「せめてアイツがいつも身につけてたアレが残ってればなあ」
 三宙が指しているのは桜色の試験管のことだろう。媒人がいつも身につけていた、彼の人の寿命の残り時間を示したもの。
 確かにアレが残っていれば正しく「形見」であったのだろうが、後の祭りだ。最終作線の報告書を確認する限り、反世界にいった彼の人はその試験管の数字を見せて、元の世界に戻ることを納得させたという。
 だから当然残らない。彼の人が生きた痕跡は、このちっぽけな箱に収まるだけのものしか無い。
「もどりましたー!って、あれ?どうかしたんですか?」
「いや、媒人サンの荷物めちゃくちゃ少ねーなって話をしてたとこ」
「そうなんだ?……うわ、ほんとだ!こんなに大きい箱じゃ無くて良かったじゃん!うわー、やっちゃった」
「大きい分には問題ない。梱包材を詰めればいいだけだからな。助かったよ、栄都」
「そうですか?お役に立てて良かったです」
 にぱ、と栄都の笑顔はどこまでも明るい。この結倭の国が救われたことに一番わかりやすく喜んだのは彼だった。
 失ったものは数あれど、すべてを失わなかったことを喜べたのは彼のおかげでもあるだろう。そういう、栄都の底抜けな明るさというのは本人の知らないうちに誰かの救いになっていた。
 だから、今回も。
「荷物が少ない代わりに、めちゃくちゃスゲーもの残していきましたもんね、媒人さんは」
 断りを入れることを完全に失念している栄都が媒人の部屋に入ると、ひしゃげたボール箱から新しいボール箱へ遺品を移していく。
 言葉の意味をはかりかねた三宙と仁武が黙っていれば、はて、と不思議そうに栄都が首をかしげた。
「だって、媒人さんが『門』を支えてくれたから、あいつらだって戻ってこれて、この世界だって救われたんでしょ?なら、この再生された世界が仲人さんの土産みたいだなって、さっき六花と四季さんと話してたんです!」
 三宙が大きく目を見開いて、仁武が僅かに息をのむ。
 栄都はその様子に気がつかないまま、それってめちゃくちゃいい考え方だなーって思って、と話を続けている。
「うわ、めちゃくちゃいいわ、それ。天才の発想だわ」
「だろー?オレもめっちゃいいなって思って、皆に言ってるんだ!」
「はー、流石っていうか、なんていうの?あそこって意外と言語センスめっちゃ光ってるよな」
「光ってる光ってる!」
 三宙が栄都の話に乗っかると、ぽんぽんと軽いテンポで会話を交わしていった。それに乗っかれずにいる仁武は、ただ硬くなった拳をほどくだけだった。
 その考え方は確かに良いものだ。彼の人もきっとそうやって自分たち志献官が前を向いて進んでいくことを――美しい世界を歩いて行くことを、望んでいるだろう。そういう人間だった。
(ただ、それでも……せめて、もっと、残るものがあれば)
 記憶というものは実にはかないもので、そう時間をおかない内の彼の人の記憶も薄れてしまうだろうことは容易に想像がついた。
 それはあまりに多くのものを失ってきた道筋によって得られた経験則であり、きっと覆ることは無い。
「ああ、そう思って生きることが一番媒人の……彼の志献官の供養にもなるだろう」
 思ってもない言葉を吐けば、酷い息苦しさが仁武を襲う。心因性のものだ、耐えられなくは無かった。
 形に残るものが無ければ不安に思うのは弱さだろうか。いつかの日、彼の人は仁武に向かって「強くなってください」と、ただ一言言っていた。よく、覚えている。
 これではとても強くなったとは言えないだろう。ただ、それでも。
 空いた空間にぐしゃぐしゃにした雑紙を詰める。大半が梱包材で埋まったボール箱は酷く軽い。
(今は、この、平和になった今は、せめて――お前を悼み、悲しむことを許してくれ)
 結局、中身に対して大きすぎたボール箱が外に出ることは無かった。
 ――代わりに。
 遠い未来、遙か先の、在る場所にて、そのボロボロになったボール箱が博物館に寄付された。
 中に入っているのはほとんどが日用品で、意味のないものだ。真に意味があったのは、そのボール箱の中身の所持者である。
 一つ、二つ、三つ、四つ――ほんの僅かな痕跡が、心を砕いて先へと受け継がれたのは誰の功績か。それはもちろん、語るべくもないだろう。