激励、あるいは

繰り返しn回目媒人と仁武さんのある日の話。
登場志献官に深い意味はあんまりないです。

・媒人がいっぱい出ます
・仁武➝媒人へのクソデカ感情有
・例によって仁武のメンタルは芳しくない

「まあそれはさておき、仁武」
「どうかしたか」
「あの子には謝ったのかい?」
「………………いや、タイミングをだな、逃して……いやすまない今すぐ行ってくる」


 まあまあとんでもない破壊音にモルが飛び跳ねて六花の周りをぐるぐると回った。ぷぷぷぷぷ、と細かく警戒するような音を発しながら素早く走り回る様はどこかハムスターを連想させる。
 そのあたり知能が高くなったといえどモルモットなんだなあ、とぼんやり思いながら六花は音に驚いて止めた筆を再度動かそうと握り直す。
「割と前から思ってたけどさ、六花って中々メンタル図太いよな」
「悪口ですか?」
「いや純粋な感想。あれ訓練場の方向だよな?確かさっき訓練場に向かったのって……ん?」
 近くに座っていた三宙が音の方角を見て首をかしげる。
「あれ、訓練場って今仁武サンしかいないんじゃ……!」
「え、あの騒音司令が出したってことですか?な、何かあったんじゃ」
「あったんだろうよ。早く行くぞ六花!何も無いならそれでよし、何かあるんだったら人がいるにこしたこと無いだろ」
「は、はい!」

 結論から言えば三宙と六花の心配事は杞憂に終わる。あの規則に厳しく真面目で堅物な仁武がとんでもない騒音を出すとはそうそう思えず、もしや何かあったのでは、と思い駆けつけたのだが、と三宙はずり落ちたサングラスを直すのも面倒くさくて苦笑を浮かべていた。
 正座をしてうなだれている仁武とひっくり返っている媒人、それから爆笑しすぎて腹を抱えて蹲っている十六夜。
「カオスモル」
「何があったんですか?鐵司令」
「えっそこで仁武にいくの?普通おじさんに聞かない?」
「信頼の差では?」
「……おじさんだってね、ちょっとは優しくされたいんだよ?そんなこと言われたらさ、いくらおじさんだって泣いちゃうよ?」
 火の玉ストレートをぶん投げた媒人に三宙が決壊した。それを何とも微妙な顔で六花が見やって、それから改めて仁武に何があったのか尋ねている。相変わらず十六夜に対して六花は塩だ。
「やっ、このボクが救急箱持ってきてやったから、これで手当をするといい!」
 そして事態を更に混沌とさせかねない一段ときらびやかな人間が救急箱と共に登場する。玖苑は迷いなく媒人の元まで行くと、救急箱を開いて手際よく手当てをしていく。
 それに気がついた仁武が立ち上がろうとした瞬間、珍しく玖苑が真顔で口を開いた。
「それと仁武、キミは深く深く反省しろ」
「すまない……」
 再び正座をして顔を覆う仁武に十六夜が爆笑している。流石にどうかと思うんですけど、と六花がぼやいて、三宙も頷いて媒人の方へと近寄る。
「軽い擦り傷と打ち身っすね。これなら数日で治りますって」
「あの、一体何をやっていたんですか?鐵司令と訓練をするにしたってこうはならないと思うんですけど」
 未だに正座をしている仁武と真顔で仁王立ちをする玖苑をちらちらと気にしながら六花が問う。それは確かに、と三宙も頷いて、ぼんやりと手当を受けているように見える媒人へと目を向けた。
 媒人はぱちくりと目を瞬かせて、そうですね、と口を開いた。平坦な声だ。先ほどひっくり返っていた割に、動揺も何もしていないように見える。
「まず事の発端は仁武と十六夜が手合わせをしていたところに自分が出くわしたことです」
「仁武サンと十六夜サンの手合わせ!?うっそ、マジ見たかったんですけど!」
「それは確かに見てみたかったかも……って今はそうじゃないですよ」
 勢いよく食いついた三宙とつられた六花に媒人が首をかしげながらも口角を上げる。微笑ましい、とでも思ったのだろう。
「そのあと自分も手合わせをしてみたらどうかと玖苑に勧められまして、確かにそんな機会もないですし、フィジカルは鍛えておいて損はないので受けておこうと思って受けまして」
「うんうん、仁武には当然敵わないしても、力量差のある相手に対する『受け流し方』は知っておいた方がいいだろう?」
「あー……そらそうだわ。万が一にでも媒人サンがやられたら、この後の作戦にも支障が出ますもんね」
 三宙の肯定に媒人と玖苑が頷いている。提案者である玖苑が怒る立場で仁武が反省する立場というのが違和感あるなあ、と六花が僅かに首をかしげたが、それでも最後まで聞くまで分からないか、と口は閉じたままにしていた。
「で、手合わせ開始後に媒人が吹っ飛んだモル」
「わっ、モル公。……えっ?どういうことですか?」
「どうもこうも、手合わせ開始の号令を十六夜がかけたモル。そしたら媒人が吹っ飛んだモル」
 説明が端的すぎて理解しあぐねている六花と三宙を見かねたのか、ずっと正座をしていた仁武がようやく重い口を開いた。
 なお、正座は継続中である。絶妙に距離があるのが笑いを誘ったが、三宙は根性で表情を取り繕った。この状況で真顔を維持できる媒人はある種大物だと思う。
「十六夜と手合わせしたときの勢いが抜けなくだな……いや、言い訳か。率直に言えば、加減を間違えた」
「間違えるも何も、あれほぼ全力じゃない?」
「そうだね、目にもとまらぬ踏み込みだった」
「加減は、した、つもりだったんだ。その、本当にすまない……」
「いえ、いい経験になりました。取り急ぎ、戦場では自分は全力で後ろに逃げることにします。結合術の時だけ走って近づきます」
「ええ……」
 媒人の着地点に困惑の声が上がったのは無理も無いことだろう。
 三宙も流石の真相に困惑の声を漏らして、それから、ついでだと口を開く。
「で、どうだった?」
「仁武の一撃は……重かったです」
「ぶっは!そらそうだわ!でも流石に加減はされてたんだろうな。じゃなきゃあんな打ち身と擦り傷で済むわけないし」
 からからと笑う三宙の声が耳にいたかったのか、はあ、と仁武の重苦しいため息が耳に入った。どうやら相当気に病んでいるらしい。
 気にしてないですよ、と媒人の淡々とした、平坦な声が訓練場の床を転がっていく。ぐっぱ、と手を握ったり開いたりした後、ゆっくりと立ち上がって足踏みをしていた。動きに支障はあまりないらしい。
「ええ、ちゃんと逃げます」
 そんなおかしな宣言に三宙が笑って、六花が苦笑する。僅かに十六夜と玖苑が目を細めたが、幸か不幸か、それには誰も気がつかなかった。

 お騒がせしましたー、と三宙と六花が去って行った後、媒人は未だに正座を続行している仁武の元へと歩いて行く。
 先代の媒人は戦場で死んだらしい。元より触媒の志献官と呼ばれる者は非力で戦闘に適した能力を持っていない。
 志献官の人間離れした能力が賦活処置によるものだとしたら、そもそも賦活処置を受けていない媒人が敵わないのも当然の話ではある。
 だが、仁武はそれを知らない。加減を間違えたって仕方がない。今までだって媒人は基本的に戦場では後方にいて、表だって戦うことは無かったのだから。
 当然、玖苑も十六夜も知らないだろう。ただ、経験則としてそう言うものだと知っているだけだ。
「……ちゃんと、逃げますよ」
 ぽつりと落として、一応医務室に行きますと声をかけて媒人はその場を後にした。
 残された三人は体勢はそのままに、たまたま出口側を向いていた十六夜がいつものやる気の無い笑みを浮かべてひらひらと手を振っていた。
 志献官の制服が見えなくなると、盛大なため息と共に仁武が立ち上がる。今度は玖苑はとがめなかったが、それでも向けている視線は実に冷ややかなものだ。
「あの子は『あの人』じゃない。分かっているんだろう、仁武」
「ああ」
 短い言葉に眉を寄せて、分かってないさ、と子供のようにそっぽを向く。仁武も仁武で硬い表情のまま、媒人が消えた先へ視線を向けていた。
 難儀なこった、と十六夜は他人事のように顎をさすってから、助け船の一つでも出してやるのがおじさんの勤めってやつかねえ、とのそりと動く。
「ま、激励ってやつでしょうよ。なあ、仁武?実際、あの子結構ぼんやりしてるし、いざって時に、なんて言うか、飛び出してきそうな危うさもあるもんな」
「ふうん……そういうことなら何も言うことはないけれど」
 玖苑はどこか疑わしげに仁武に視線をよこす。十六夜はへらりと笑みを浮かべたまま、そうでしょ、と仁武に同意を求めるように軽い言葉を口にした。
「そうですね。……ああ、そうです。いざ自分が狙われたときに、自分を優先できないような恐ろしさがある」
 言い聞かせるような言葉は誰に向けたものか。玖苑は大げさなため息をついて、よく整理しておくことだ、と言い残して背中を向ける。不機嫌そうな足音が遠ざかるにつれ、十六夜の苦笑が色濃くなっていった。
「あの子、どこまで分かってるんだろうねえ。ああ、そうだ。玖苑に言われて分かってるとは思うけどさ、あの子に先代を重ねるのも酷ってもんだぜ」
「分かっていますよ。分かってはいるんです」
 平坦な声と淡々とした言葉を思い出す。
 それが先代の触媒の志献官と似た、どこか老成したそれに思えてならなかった。
 気のせいだ。
 気のせいで無ければならない。
「――理由がどうであれ、あいつを途中で失うわけには行きませんから」
「そ。それは鐵仁武個人の感想?それとも司令代理の感想?」
「どちらも、です」
「上出来」
 にやりと笑みを浮かべて十六夜が立ち去る。
 その最後に、仁武は一度くしゃりと顔をゆがめて、それから拳を強く握った。
 どうかこの五十日の末に、誰一人失わないことを願い、それから小さく頭を振った。