彼岸に向けて

玖苑さんお誕生日おめでとう!なお話。
なのにちょっと暗くなってしまった。
暦は今年を参照して、20日が彼岸の入りとして書いています。

50日を超えたおよそ1年後、2回目の誕生日と彼岸がやってきたね、っていうお話。

・少なくとも玖苑さんと仁武さんは特選志献官ではない世界線
・しれっと捏造の未来(仁武さんが志献官辞めたとか)がねじ込まれています


 花が揺れている。この時期に見かける赤い花ではない。母が好きだった、淡い色の花弁が涼しくなり始めた風に揺蕩っていた。
「やはり、ここだったか」
 聞き慣れた声に振り返れば、苦笑交じりの友人が立っていた。珍しく私服だ。タンクトップに黒いジャージを羽織っただけという何とも雑なファッションに笑みを浮かべて、何か用でもあるのかい、と口にした。我ながら随分ととげとげしい声だと眉を下げる。
 五十日が過ぎ去った後、もうじき一年が過ぎ去ろうとしているにもかかわらず、この時期はなんとなく気分が沈んでしまう。
 嬉しい日のはずだった。喜ばしい日のはずだった。それでも気が沈むのは、間に合わず手が届かなかった誰かを悔いているからだろう。
 らしくない、と玖苑はその思いを振り切るように努めて明るく振る舞ったが、望みむなしく心の重さは増すばかりだった。
「明日は彼岸の入りか」
「そうだね。あの世とこの世が最も近づく時期だったっけ。ボクは仏教あんまり詳しくないから分からないけれど」
「それは俺もだ。まあ、旧時代から続く慣習だ。由来を深く理解しているヤツなんて、それこそ坊さんくらいじゃないのか」
「ははっ、言えてる。それで、何の用だい、仁武?」
 仁武は玖苑の二回目の問いには答えず、墓の前に佇んでいた。口を結んで墓を直視する姿がどうにも目に痛い。
 答えを急かす黄にはあまりならなくて、玖苑も黙って墓の前にしゃがむ。墓石に刻まれた名前をぼんやりと眺めて、結倭の国式に手を合わせた。
 目を閉じれば様々なものが駆け巡る。懐かしい記憶、美しい記憶、苦い記憶。それらを拾い集めて、いつも笑みを浮かべるのだ。舎利弗玖苑はいつだってそうやって歩いている。
「本部の連中がお前を探していたよ」
「おや、それは悪いことをしてしまったね」
「彼岸の連中も祝いに来るんじゃないか」
「……死んだ人間は、何もしないし、できない。酷い冗談だ」
「かもなあ」
 はは、とやけに軽やかな笑みに玖苑は怪訝そうな視線をよこす。仁武は肩をすくめると、それだけの人望があるだろう、とらしくない言葉を落とした。
 本当にらしくない、と玖苑は立ち上がって仁武をまじまじと見つめてみた。書類仕事に追われても鍛錬は続けているらしく、筋肉量やら何やらは衰えた様子はあまりない。変なところで真面目だ、と苦言を呈したのだって記憶に新しかった。
 花が揺れている。淡い色の花が、そよそよ、と、脳天気に揺れている。
「もう一年か。早いな」
「……仁武、君本当に何しにきたんだい?油を売りに来ただけか?あれだけ仕事が忙しいって言って、ボクの誘いを何度も断ったこと、忘れてないよ」
「いやそこを恨まれてもな……」
 仁武は困ったように笑うと、それから墓の群れに視線を戻して小さく笑みをこぼした。不思議と不安にはならない、それでいてとても凪いだ笑みだった。
「志献官を退役してきた」
 しれっと、明日買い物に行くんだとか言い出すような声音で、空気感で、仁武はそう言って墓の前にしゃがむ。ここがお前のとこの墓か、と暢気に聞いてきたものだから、玖苑はここが墓場であることを忘れて思いっきり声を大きくしてしまった。
「は!?急すぎやしないか!?」
「言ったのはお前が最初だな。というか、墓はここであってるのか?仮に違ったら申し訳がない」
「……待て、待て。いや墓はそこであってる。志献官を?今?辞めたのか?」
「ああ。もう俺がやらないとならないことも終わったからな。玖苑、お前だってもう志献官でいる必要は無いんだろう」
 仁武は両手の平を合わせて目を閉じて、それからしばらくの間沈黙を貫いていた。何を思って手のひらを合わせているのか玖苑には見当もつかなかったし、そもそもそれどころではなかった。
 ああでも、余生くらいは穏やかに、とかそんなことを言っていたか、と記憶の引き出しを片っ端からひっくり返しながら脳内を整理する。いくら完璧だからって予想外の出来事に咄嗟に対処できるほど玖苑も機械じみていないのだ。
「今日、飲みに行かないか。とは言っても、十六夜が既に酒場予約しちまってるんだが」
 今日。
 玖苑は瞬きをして、それからやっと仁武の意図をくみ取って破顔した。
「もちろん行くとも!なんだ、そういう話は最初にしてくれよ、仁武」
 明日は彼岸の入りで、今日は玖苑が生まれた日だ。
 小さな頃は特段何も思わなかった。年を重ねて、志献官として勤めるようになっても、何も。
 ただ、積み重なっていく仲間だったものが増えるにつれて、嬉しいはずだった日はだんだんと嬉しくなくなっていった。
 機械的に、その日を迎えれば年齢というプロフィール上の数字に一つ数を足すだけの日。玖苑にとって誕生日はそういう日になっていった。
 あの世とこの世が最も近づく日だというのなら、この世にいる自分たちだって思いをはせずにはいられない。ただ己が生まれたと言うだけで、どうして喜べただろうか。
 ひとりぼっちになってしまう恐怖の方が、余程大きく玖苑の心に根を張っている。
「なら、とっととボクも辞めてこようかな。あ、そうだ、仁武もついてくるかい?」
「は?どこに」
「ボクの旅行。というか、帰郷といった方が正しいかな。ああ、十六夜と一那を巻き込むのも良いね。向こうにも温泉の名所があるんだ」
 仁武は一瞬呆けたような顔をして、それから絶えきれないと言ったように吹き出した。ああ、悪くないな、と前向きな返事に玖苑も満足そうに頷く。
「飛行機ってヤツがあるらしい。地獄は地の底にあるが、ヴァルハラも天国も高いところにあるだろう?もしかしたら、ニアミス出来るかもね」
「すれ違うかもしれないってことか?っはは、意味が分からないな、それ。すれ違ったところで困惑させるだけだろ」
「それはそれでいいじゃないか。うん、すごく良いことに思えてきた。早速十六夜と一那を引き摺ってこよう」
 引き摺るってお前な、と仁武が笑いこけている。司令代理という重責が降りた友人の声はとても軽やかなものに思えて、玖苑は心からの笑みを浮かべた。
 ひとまずは今日を目一杯楽しむことにしよう。せっかく十六夜が用意してくれた祝いの席だ、楽しまない方が礼儀知らずというもの。ここは十六夜の財布をすっからかんにするくらいには楽しまなければなるまい。
「ははっ、最高だ。こんなに嬉しい誕生日は久しぶりだよ」
「そいつは何よりだ。十六夜が哀れでならないがな」
「あれ、聞こえてた?」
「胸の内に秘めておいてやるよ」
 墓に背を向ける。ここに埋まる人間は、少なくともこれからは安らかに眠ってここに埋まる。
 それだけでも随分と心が軽い。
 彼岸が近い。あの世とこの世が近づいて、あの世の人間がここを訪れたら、きっと驚くことだろう。もう悲しむ必要も無いし、もう嘆く必要も無い。
 降り積もるものは喜びだけで十分だ。けらけらと笑いながら歩く玖苑の後ろ髪は楽しそうに揺れていた。