名前はきっといらないまま

仁武×媒人(結月怜)な話。
※媒人について
身長160前半
性別不明
名前:結月怜(デフォルトネーム)
で書いています

以下注意ください。
・かっこいい仁武さんはいません
・仁媒な要素強め……で書いてます
・両片思い(仁武無自覚、媒人意識的な無自覚)
・あんまり救いは無いように見えるかも
・付き合っては無い
・媒人の独白多め

酒で潰れちゃった仁武さんとお疲れ気味で思考回路死んでた媒人が一緒に寝る話。
あるいはその感情に名前をつけない話。


 媒人は困惑していた。
 モル公は本日モル寮で寝るらしく不在だ。これほどあの元気なモルが恋しくなることもそうあるまい。
 今日は何をしていたのだったか。午前中は部隊訓練と結合訓練、巡回で玖苑と話して、それから休憩を挟んで結合訓練だった気がする。大体いつもこんな感じではあるが、前日は防衛出動があった。疲れた頭が見せた幻覚かも知れない。
 媒人、もとい結月怜は一縷の望みをかけてそうっと手を伸ばす。幻覚だったらなあ、という望みはいとも容易く打ち砕かれ、手のひらに成人男性のぬくもりが伝わった。
「よ、酔い潰れている……」
 発見したのが自分で良かったとか、潰れるほど飲むなんてちょっと意外だなとか、嗚呼そういえばどこかで酒が弱いって言ってたっけとか、色々な記憶が脳裏に駆け巡って、怜は天井を仰いだ。
 ……どうしよう。とてもじゃないが、いや、とても仁武のような筋肉だるまを運ぶ筋力はない。
 すうすうと心地よさそうな寝息を立てて部屋のドアの前で寝こけている仁武を見やって、いや本当にどうしよう、と怜はしゃがみ込む。
 とっぷりと暗くなった寮の窓から月の光だけが差し込んでいる。静かな廊下には話し声が聞こえていた。耳を澄ませば、それが三宙と栄都と朔の声であることが分かる。その面子であれば、七瀬もいるだろう。
 いっそのこと三宙の部屋にお邪魔するか、とまで考えて首を振った。ここで自分が三宙の部屋を尋ねて栄都たちに混じれば、その理由を必ず聞かれることになる。
 怜は元来無口な性格だ。表情筋だってさほど動かない。だからといって、自分の思っていることを隠すのが得意かと言われれば全力で首を振るほか無いだろう。
 すぴー、という寝息を耳にして息を吐く。多分、この姿は純弐位や純参位の仲間たちには見られたくはないんだろうなあ。昼間よりやや崩れた紙と、酒により紅潮した頬を見やって立ち上がる。
 仁武を部屋へ運ぶのは無理でも、自分の部屋に押し込むぐらいなら出来るかも知れない。
 怜はかなり動揺していた。思考があらぬ方向に吹き飛んだが、悲しいかなここにツッコミを入れてくれるモル公は不在である。
 運ぶのは絶望的なので、とりあえず転がしてどうにかする方向にシフトチェンジする。いくら非力な媒人といえど、成人男性を転がすくらいの体力と筋力はあるはずだ。多分。
 しかし突然床へ転がすのはどうかと思うので、ダメ元で一度声をかけてみよう、と怜は仁武の顔をのぞき込むようにしゃがむ。
 突然だろうが何だろうが上官を床へ転がすのはどうなのか?という突っ込みを入れる人間はいないし、なんなら仁武がうっかり怜の部屋の前で寝こけていることが諸悪の根源であることを指摘する人間ももちろんいない。繰り返すが、いつも的確なツッコミを入れてくれるモル公は現在不在なのだ。
「仁武、仁武さん、ここ自分の部屋の前です。どいてください」
 ゆっさゆっさと肩を思い切り揺すっているつもりだが、抜群の体幹でほぼ相殺されている。んなことに身体能力を発揮しなくてもいいではないか。怜は眉間にしわをつくと、仁武、と再度声をかけた。
 ゆらゆらと頭が揺れているが、起きる気配はない。
 もうだめだなこれは。怜は見切りをつけて、仁武の制服を掴んで横へと引っ張った。元々の体格差もあって、ずりずりとゆっくり引き摺られている。
「ぐ、重っ……」
 結月怜身長百六十センチ前半に対して仁武の身長は二メートルに近い。絶望的な体格差である。あと体育座りという抜群の安定感を誇る体勢なのも正直ツラい。立っていればまだ、と思ったが、それはそれで危ないだろう。下手をすれば横転である。
「……玖苑……十六夜、は多分捕まらないし……一那?……呼び出すのも迷惑だ」
 扉半分まで引き摺って息も絶え絶えになった自分の体力に心底失望した。明日から鍛錬に励まなければなるまい。どうせ何十日か後にはリセットされるけれども。
「……仁武さん、仁武、どーいーてーくーだーさーいー」
 ゆっさゆっさゆっさゆっさ。
 背が高いからドアノブすれすれで頭が揺れている。いっそ頭ぶつけて起きてくれないだろうか。寝れないストレスとあんまり見ない事態に怜は虚無の顔をして、やっぱり無理か、と盛大なため息をついた。よもやこんな夜に体力を消耗することになろうとは。労災申請も辞さない構えだ。
「仁武、じーんー……あ」
「……怜、か?」
 おお、神よ――
 一瞬脳裏によぎったデッドマター神とかいう意味の分からない神を全力で追い出しつつ、今は夜だし月読尊か素戔嗚尊かな、と内心全力で二拝二拍手一拝を試みた。
「暗……どこだここ……」
「自分の部屋の前です」
「ん、ああ……っそうか、迷惑をかけたな」
 やっと目が覚めたらしい仁武がぼんやりとした顔のまま怜を見上げている。何とも珍しい眺め、とつられて見返せば、ふらふらしたまま仁武が壁を支えに立ち上がる。
 座っていたから同じだった目線はあっという間に離れて遙か上方だ。がっつり酒が残っているように見えるが、明日は大丈夫だろうか。
 どこだ、と眠そうな声に苦笑をしたのもつかの間、仁武はすぐそばにあったドアノブを捻って中へ入る。ぱたん、という効果音が間抜けに鼓膜を震わせた。
「えっ」
 そこは結月怜の部屋である。ちゃんとドアにネームプレードが下がっている。嘘だろう司令代理。
 慌ててドアノブを捻って中へと突入した。幸いなことに鍵はかけなかったらしい。
「この酔っ払いめ」
 窓から差し込む柔らかい白銀の光、あまりに少ない私物が乗っかった木製の机、それから――
「あ、足がはみ出ている……」
 体格が違いすぎるせいでベッドから足がはみ出た状態で寝こけている司令代理。
 この状態でどうやって寝ろと?添い寝でもしろってか。玖苑じゃないんだぞ。
 くらりとめまいを覚えて椅子に腰掛ける。すうすうと寝息を立てている仁武はどうみても熟睡中だ。もう起こすのは絶望的だろう。
 絶望的だとは思うがやらないよりはやる後悔、という言葉もあるのでしっかりと揺さぶってはみる。ゆさゆさと揺すってみるが当然起きる気配はない。時折、ううん、とうなる声が聞こえるぐらいだ。うなりたいのはこっちである。
「仁武、じーんー、せめてもうちょっと端に……重っ……」
 ぐいぐいと押して自分の寝るスペースを確保しようと試みたが、いかんせん重い。鉄の志献官だけに重いのか。たしか脂肪よりも筋肉の方が比重が大きいから、見た目よりも重いと聞く。
 脳内に微塵も役に立たない雑学が疾走していく。どうしようもない。つまりは八方塞がり、というやつだ。
 どうしろっていうんだ。怜はしばらくの間寝こけている仁武を見下ろして、それから一つ息を吐く。
 静かな室内に遠くから少しだけ騒いだ声が聞こえた。徐々に就寝する人間が増える時刻だ、だんだんと明かりは減って、声も物音も減っていく。
 ――もう知ったことではない。
 繰り返すが、気が触れたわけではない。ただちょっとお疲れ気味で、そういうときは思考回路が変な方向へ飛躍しがちだった、というだけの話だ。
 本日も一日ほぼ訓練で、休息代わりの買い出しに煉瓦街へ出かけた以外は訓練だ。それは部隊編成されている仁武とて同じだろう。というかこんなにわかりやすく潰れていて翌朝に酒は残らないのだろうか。
 怜は疲れていた。前日は元気に防衛出動、本日もほぼ一日訓練。この結倭の国で目が覚めてから、寝ても起きても訓練出撃訓練出撃の繰り返し。
 その生活に不満があるわけではなかったし、満足さえしている。だがそれとこれとは別だ。
 万全な状態は休息無しには作り得ない。怜は眠気がかなりこみ上げていることを自覚していた。
 人間、眠いと正常な判断能力を失うものである。
 人間、疲れていても正常な判断能力を失うものである。
 はよ寝かせてくれ。怜の脳内はこの一言でいっぱいいっぱいで、自分が取る行動が次に何をもたらすか、までは特段考えていなかった。
 より正確に言い示せば、怜の取った行動が仁武にとってどう影響を及ぼすのか、までは本当に一つも考えていなかったのである。
「ふとん……は、下敷きだ」
 倒れ込むように寝てしまったのだろう、掛け布団は仁武の下敷きとなっている。普段起きたら簡単に整えているのがここで仇になるとは誰も思うまい。
 ぐいぐいと引っ張って、なんとか掛け布団を引きずり出す。ついでに仁武の身体が若干動いたが知ったことではない。
 やっとの思いで掛け布団を引きずり出せば後は寝るだけだ。仁武が寝台に対して斜めに寝ているおかげで、怜が丸まって寝れるだけの空間が出来ている。
 よいせ、と仁武をまたいで寝台に丸まった。布団はなんだか可哀想に思えてきたので、仁武にも多少はかかるようにかけて目を閉じる。

 窓から月明かりが差し込んでいる。
 声は徐々に無くなっていく。
 星月以外の明かりは徐々に消えて無くなっていた。
 視界を遮れば、痛々しいほどの静寂に沈んでいく。

 それがいつもの結月怜の夜。一日の終わり、脳裏に何か浮かぶこともなく泥のように眠る「いつも」の夜だ。
 自分とは違うリズムの呼吸の音が聞こえる。寝台はいつもよりずっと狭くて寝苦しいし、人一人の体温が加わっているおかげでちょっと暑い。
 晩夏、あるいは初秋の今の時期はまだ夏の残滓のように熱が残る夜がある。それでも十分に涼しいことには変わりないのだろうが。
「あつ……」
 子供のように丸まって眠る。とても寝苦しくて快適ではない夜のはずだったのに、どこか居心地がいいと思えたのは何故だろうか。
 くしゃり、と頭部に加わった感覚に薄く目を開ける。少し遅れて、手か、と髪の毛ごしに伝わる体温にまた目を閉じた。
 暑いけれど、なんとなく慣れない温かさは悪くない。
 耳に届くのはリズムの異なる二つの呼吸音だけで、いつもより随分と暖かい布団の中で、怜は丸まったまま眠気に身を浸す。
 結月怜には記憶が無い。この僅か五十日を繰り返し駆け抜ける記憶だけが脳の奥底に沈んでいる。その「前の五十日」ですらちゃぷちゃぷと音を立てる記憶の水槽の奥底にあるかのようにおぼつかないものだ。
 だからだろうか。
 今だけはただの子供であるかのように目をつぶる。頭に置かれた手の感触と、すぐそばにある自分のものではない体温にどうしようもないほどの安堵を覚える。
 ああ、そういえば。
 意識が途切れるその寸前にふと思い出した。波の音が聞こえて目を覚ましたあの場所で、自分が何者なのかを教えてくれたのは、確か――

 仁武は目が覚めてほぼ反射で床に降りて正座していた。
 仁武が起きた拍子に一緒に目が覚めてしまったらしい怜がまだ眠そうにあくびをして、それから床に正座をしてしてうなだれている仁武を見て心底困惑した顔をしていた。それはそうである。
 朝起きたら自室で沈痛な表情を浮かべて正座をしている上官がいるのだ。正直自分で言っていても状況がさっぱり分からない。
 なお、仁武は酒は残らないが記憶は残る類の下戸である。
「……よく眠れました?」
「ほんっとうにすまない……」
 まだ眠そうな怜の気遣いが痛い。
 おおよその流れをしっかりがっつり覚えてしまっている仁武は目をそらしたくなる心を全力で叱咤して、しかし恐る恐る顔を上げた。ぷらぷらと足をぶらつかせて、はっとしたように足の動きを止めている怜が寝台に座って首をかしげていた。
「あの、今のうちに自室に行った方がいいんじゃないですか」
「……いや、そうなんだが、そういわけにもだな」
「多分そろそろ皆起きるのでばれますよ」
「…………本当に申し訳ない」
 だんだんと目が覚めてきたらしい怜がそっと諭すような優しい声で仁武の体裁を守れるように促してくれる。
 申し訳がなさ過ぎて心が痛い。錆の痛みとはまた違う類の痛みに仁武は顔を覆いたくなる衝動をこらえた。
 酒のせいか、狭い寝台に無理矢理二人で寝ていたせいか、随分と早い時間に起きた。とはいえ、防衛本部の朝は早い。うかうかしていれば寮の人間も起きてくることだろう。
 早く出ないんですか、と不思議そうな声にやっと立ち上がる。詫びはまたなんとか機会を見つけてするしかない。羞恥と羞恥と申し訳なさに目を合わせるのも正直つらいが、仁武は部屋を出る前に怜の目を見て礼を言った。流石にそこは守るべきラインというものがある。
「別に気にしてないです」
「いや、必ずちゃんとした形で詫びと礼をする。お前の言葉に甘えさせてもらおう」
「……本当に気にしてないですよ」
 何とも頑ななそれに僅かに口元が緩んで、いい加減にしないと本当に皆が起き出してしまうとドアノブに手をかけた。
 また後で、と声をかけて退室する。
「夜は冷えるので、あったかくてよかったですし」
 ぽそり、と付け加えられた言葉が耳に入ってしまったのは偶然か、そうではないのか。
 早足でいったん自室に向かう仁武には判断がつかなかったし、つけられなかった。
 偶然で、事故だ。たまたま十六夜と玖苑に付き合って酒を飲んで、何をどう間違ったのかは自分ですら分からないが、自室を間違えて怜の部屋の前で寝こけてしまっただけ。
 その末に、早く休みたい怜が自分をどけるのも面倒で同じ寝台で寝た、というそれだけの話。
「……ちゃんと、詫びと、礼を、しないとな」
 言い聞かせるように言葉を口にする。心臓が早鐘を打っているのは動揺しているせいだ。あるいは、酒がまだ残っているせいかもしれない。昨日飲んだものは特別アルコール度数が高いものだった可能性もある。
 いずれにせよ、その感情の正体を暴く必要も無いし余裕もない。それは、この戦いを終えたらゆっくりとやっていけばいいだけの話だ。

 仁武が去った後の部屋で耳を澄ます。寝台はまだ微妙に温かい。自分ではない人のぬくもりが残る布団に手を置いて、目を伏せる。
 徐々に音が戻っていく。暴力的な白が窓から差し込んでいる。この手にある自分ではない熱も、きっと空に解けて消えてしまう。
「あと、何日だっけ」
 この心もきっと記憶の水槽の底に沈んでしまう。ちゃぷん、と音を立てて、重たい記憶は水の底へ。深い水の奥にあるものはぼんやりとは見えても詳細は水面に遮られて見ることは叶わないだろう。
 それはとても寂しいことに思えた。
「意外と、寝心地、よかったな」
 熱が解ける前に布団を握る。ぷらぷらと足を動かして、それから目を開けた。
 世界滅亡まであと何日だったか。止まっている暇はない。この感情の名前を探す暇も無い。それは、どうせつけたところでこの戦いが終われば消えてしまうものなのだから。