明日は明日の雲が浮かぶ3

 寝こけている仁武に上着を掛けてから、玖苑は満足そうに酒をあおった。ジョッキに揺れる液体を見て、絶対その容器で飲むものではないなあ、と四季は心の底からドン引きしていた。怜もドン引きしていた。
 というか、怜って成人してたんだな、と四季はそれなりに失礼なことを考えて、自分の酒に口をつける。強くも弱くもないアルコールが喉を通って、僅かに喉を温めた。
「ふふん、これで賭けはボクの勝ちだね、十六夜」
「いやまさかドンピシャで当てるとはなあ。伊達に親友じゃないってワケね。妬けちゃうなあ。嫉妬しちゃうなあ」
「そういうキミだって仁武とは古い付き合いだろう?ボクよりも」
「……僕帰っていいですかね」
「自分も帰りたいです。一那もさっきしれっと出て行っちゃいましたし」
「マジかよ逃げ足はやすぎんだろ」
 というか見ていたなら止めておけよ、とも思ったがそういうことをする漢字の人間ではなかったな、と四季は嘆息した。無口で無表情気味の『ふるい』元同僚は、ちびちびと酒を口に運んでいる。顔色は変わらない。存外ザルなのかもしれなかった。
 四季と一那がとばっちりを受け、秒で一那が脱出したこの場は十六夜主催の成人組限定の飲み会である。ちなみに、四季はこの場で初めて怜が成人済みであることを知った。
 曰く、十六夜と玖苑で賭けをしていたらしく、このたび見事に十六夜が負けたのでこうなったらしい。一つも意味が分からなかった。というか十六夜と玖苑の賭けなら二人でやれ。こっちを巻き込むな。
 そんな四季の抵抗むなしくあれよあれよとテーブルがセッティングされてしまったのが何とも言えない。まあ鐵さんがいるから大丈夫だろとか思っていたら、こっちはこっちで秒で酔って秒で寝た。とんでもない下戸だった。
「仁武さんが飲んでたの、チューハイなんだけどね」
「酒弱いとは聞いてたけど、んな弱いとはな」
「たまにふらっふらになって駅裏で座ってた」
「……よく防衛本部はまともに回ってたな」
「仁武さんは別にお酒が好きってワケではないらしいので。玖苑さんが置いていった酒も全く手をつけていないっていってたし」
「ふうん。つか詳しいな」
「伊達に繰り返してないからね」
「……っそうか」
 ふふーん、と胸を張る怜をどう見て良いか分からなかった。一瞬詰まった言葉をどうにか吐き出せば、はて、と怜が首をかしげてみせる。
「笑うところでは?」
「笑えねーんだわそれ」
 なんでこう……なんでこうコイツは……
 仁武も十六夜もそうだが、何でこう、こいつら全員他人の自己犠牲には厳しいくせに自分は度外視するのか。四季は胸中に渦巻く突っ込みをまるごと飲み込むように発泡酒をあおって、盛大に息を吐いた。良い飲みっぷりー、という十六夜のヤジが鬱陶しい。
「別に言うほど悲しい話でもないんだ。仁武さんに言うと鬼の形相をされるのでこういう場でしか話せないけど」
「僕らが同じ反応返すとは微塵も思ってないワケね」
「ノーコメントで。でもつらくもないし悲しくもない。後悔だけは腐るほどしたけど、それだけ。元々老い先短いのは分かっていたし、それもあの日々では思い出せもしなかったし」
「……ハッ、そうかよ。その辺は僕らと同じってことか」
 そして容赦なく追加注文を打ち込んでいる怜に、シリアスになりきらねえな、と四季はちょっと呆れていた。
 悲しい話ではない、と言った。事実そうなのだろう。この類の人間には覚えがある。栄都や仁武と似た、他人のために喜んで命をつかえてしまう、先天的な英雄性だ。
 クソ食らえだ、と四季は悪態をつく。どんなに誰かが救われたって、そこに当人がいなければ意味が無い。自己犠牲をするのであれば、その理由が自分本位でなければならない。四季はそう信じてやまないし、これからも変わることはないのだと思っている。
 怜は僅かに苦い笑みを浮かべて、それでも後悔はしたんだ、と口にした。
「抱えて腐ったものを、こうして持ち出せる未来があるなんて思ってもいなかったから」
「そらそうだろ。まあ、お前の場合は……仕方ないと言えば仕方ないんでしょうけど」
 だがそれはそれとして反世界に飛び込んできた一件は許していない。四季は口に放り込んだ肉料理を噛みちぎりながら、ふつふつと湧いてきた怒りごと固形物をミンチにしていく。なんか怖……と引いている怜には理不尽に当たらせてもらおう。それぐらいのことはされたはずだ。
「おや、二人で談笑かい?ボクも混ぜてほしいな!」
「アンタさっきまで清硫さんと話してたでしょ。年寄りは年寄りで話しててくださいよ。若い衆は若い衆で話してるんで」
「だって仁武ってば寝ちゃったんだもーん。寝かせたの俺たちだけど」
「自業自得じゃねえか」
 すぴー、と一周回って憎たらしいまでの寝息を立てて寝ている大男へ目を向ける。涎が垂れているように見えるが気のせいだろう。見間違いにしておくか、となんだか一周回って仁武が可哀想に見えてきた四季はそっと目をそらして水に口をつけた。
 酒の席ではまだ酔いの回りが遅い玖苑の方がマシなんだよな、と四季は盛大にため息をついた。すすす、と差し出された焼き鳥の串に吹き出して、礼を言いながら一本拝借する。怜はしっかり酒の量をコントロールしながら食べているようだった。
「……量多すぎないですかね」
「おなかすかせてきたので。十六夜さんの財布を空にしようかと」
「さりげなくとんでもない宣言しないで?おじさんの財布だってね、有限なんだよ?」
「大丈夫さ、ほらそこにカードがあるだろう?黒いヤツ」
「これはただの会員証だって言ってるだろ!?ブラックカードとか持ってないんだってば。大体、別に俺富豪とかじゃないしさあ」
 それは多分嘘である。四季は確信しながら無言で肉料理を口に突っ込んだ。タレが濃い、いかにも酒のつまみと言った安い味がした。別に舌が肥えているわけではないから、それでも十分に美味い。
「それで、何の賭けをしていたんですか?」
 しれっと怜が焼き鳥を追加で頼みながら口を開く。こいつ何皿頼むんだ、と二度見すれば、にこりと怜は珍しい笑顔を浮かべて見せた。四季も頼むかとタブレット端末を渡されたので、じゃあ飲み物でもと開きながら注文履歴を開いた。
 計ウン十皿。四季は見なかったことにした。
「ああ、それはね」
「えー、何の話かおじさんわかんなーい」
「ちょっと、十六夜、何で遮るんだ。別にやましい賭けじゃないだろう?」
「いやまあ、確かにやましくはないんだけどさ、それ当事者に言うのは違うんじゃないかなって。仁武に知られたら絞め殺されちゃう」
 そんな内容の賭けをしなければ良いのでは?四季と怜は訝しんだが、フリーダム純壱位の手綱を握れる人間など誰もいないことを思い出して、そっと運ばれた飲み物と料理に口をつけた。
 とはいえ、当事者に言うのは違う、と来て、仁武に知られたくない、と来れば十中八九仁武と怜絡みの話だろう。四季と仁武は言うほど関わりが無い。現在もいつかも、表層上の付き合いし貸してこなかったはずだ。他の人間の記憶でどうかは、知らないが。
 怜も怜でそれなりに見当がついているらしく、ああ、と頷いている。当事者である分、内容も見当がつくのだろう。『媒人』をいつ見つけるかとかじゃねえだろうし、と四季は焼き鳥を口に運びながら適当なことを考える。賭けの中身はどうでもよかったが、暇つぶしにはうってつけではあった。
「玖苑は何に賭けてたんですか?」
「ボクは即日に賭けてたよ。ほら、キミって割と直情的だろう?いつぞやの時なんかは特に」
「その節は自分のせいではないので何卒ご容赦いただきたく」
「自覚あんのかよなおさらタチわりいな」
「別に実験に参加した記憶とか未だにないし……」
「仁武が聞いたらぶっ倒れそうな発言だなあ。あ、ちなみにおじさんは一ヶ月前後に賭けてた」
 そして玖苑がドンピシャで当てた、というわけらしい。
 普段口数少ないくせにこういうときだけ流暢に喋りやがる、と悪態をつけば、怜は小さな笑みで返した。結局は、それがこの人間の本質なのだろう。全くクソ食らえな精神性である。はいはいご立派ご立派、と悪態をつけば、そうだね、と短い郷愁の色を乗せた言葉が落ちた。
「……同棲リアル・タイム・アタック」
 真顔で当てに行くな。そして温度差どこにやった。怜の顔は真剣そのもので、玖苑と十六夜の賭けの内容を当てに行っているらしい。別に掘り返さなくても良いだろうとは思うが、当人だからこそ知りたいのかもしれない。やぶ蛇だろうと四季は考えたが、まあその辺は個人の価値観に寄るだろう。
「残念、外れだ」
「じゃあ告白リアル・タイム・アタック」
「おっすごいな、当たりだよ!正解した怜くんにはボクからワインのプレゼントだ!」
「それは別に良いです」
 四季は頭を抱えた。
 なるほど確かにその賭けの内容は仁武が知ったらキレ散らかしそうではある。キレ散らかす通り越して職権乱用も辞さないかもしれない。というか四季ならやる。
「お前、よく平然としてんな……」
 正直知りたくなかったが九割の感想であった。思わずと言ったように口にすれば、怜は玖苑からもらったワインをちびちびと口にしながら首をかしげている。別に隠すようなことでもないので、といたって普通のトーンで返された。というか結局ワインはもらったのか。
 そうか、確かに隠すようなことでもないかもしれない。男女のカップルがいつの間にか付き合っていて、誰かに聞かれたときに平然と付き合っているのだと答えるのと同じ感覚なのだろう。
 だが冷静に考えてほしい。仁武と怜は、確かに元志献官連中からすれば深い絆を結んだ仲間の一人で、まあ、百歩ほど譲ればそうなってもおかしくないのかもしれない。
 しかし客観的に見れば、なんというか、どう見ても犯罪である。出会って即日で知らん男の家に泊まっているのも問題だったし、そのまま恋仲になっているのもまあ問題だ。この場にいるのがまっとうな人間だったらまず詐欺を疑う。
「……賭けてたおじさんが言うのも本当にアレなんだけどさ。怜、平然としすぎじゃない?多分もうちょっと俺たちにキレても良いと思うんだよね。いや、本当に俺が言うのもアレなんだけど」
「マジで清硫さんが言うのもアレなんですけど、正直同意しかねえのがなんつーか……はあ、もういいや」
 僕も一那みたいにさっさと逃げときゃよかったな、と四季はやけくそで酒を胃に流し込んだ。